大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和46年(わ)600号 判決

主文

被告人舩本政行を懲役一年に、被告人小池英明を懲役八月に処する。

ただし、被告人両名に対し、この裁判確定の日からいずれも三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用〈省略〉

理由

(罪となるべき事実)

第一被告人両名は、ほか三名位の男らと意思相通じたうえ共同して、昭和四六年八月二四日午後一時過ぎころ、福岡市天神一丁目一一街区五号(西鉄名店街内)所在の紳士洋品店「一新」前付近路上において、氏名不詳の男(年令二三才位、身長1.7メートル弱、長髪で一見学生風、当時薄青色半袖シャツ着用)に対し、被告人ら五名位のうちの一名がその頭髪を掴んで路上に押えつけ、被告人両名を含む四名位が手拳でその頭部、顔面、腹部等をめつた打ちに殴りつけたり、その腹部を足蹴りにしたりし、さらに右氏名不詳の男が立ち上り逃げ出そうとするや、被告人ら五名のうちの一名が拳大のコンクリート塊状の石を握つてその顔面を下から突き上げるように二、三回殴打するなどの暴行を加え、もつて数人共同して暴行をした。

第二被告人舩本政行は、同年九月一一日午後一一時二〇分過ぎころ、同市箱崎帝大前三三六一番地の二所在の飲食店「栃ノ海」前路上において、氏名不詳の男(年令二二才位、身長1.65メートル位、一見学生風で、当時白色ワイシャツ、黒色ズボンを着用し、布製ショルダーバックを携行)に対し、両手の手拳でその顔面、腹部、胸部などを突くように乱打し、その下半身を足蹴りにする暴行を加えた。

(証拠の標目)〈略〉

(法令の適用)

被告人両名の判示第一の所為はいずれも、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条)、罰金等臨時措置法三条一項二号(ただし、刑法六条、一〇条に従い、軽い行為時法である、昭和四七年法律第六一号罰金等臨時措置法の一部を改正する法律による改正前の罰金等臨時措置法三条一項二号を適用する。)に、被告人舩本の判示第二の所為は、刑法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条に従い、前同改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号を適用する。)に該当するところ、被告人舩本について、その各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、その刑期範囲内で同被告人を懲役一年に処し、被告人小池について、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で同被告人を懲役八月に処し、情状により被告人両名に対し各同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日からいずれも三年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用〈略〉。

(被告人らおよび弁護人の主張に対する判断)

一被告人両名および弁護人は、本件各公訴事実(ただし、被告人小池は、判示第一関係のみ)について、本件はいずれも人の身体に対する罪であるところ、その相手方であるいわゆる被害者が特定されていないから、訴因において罪となるべき事実が特定されていないことに帰し、したがつて起訴自体が刑事訴訟法二五六条三項に違反する無効なものであつて、同法三三八条四号に従い公訴を棄却すべきものである旨主張する。

そこで検討するのに、本件各起訴状の記載においては、判示第一の被害者については「学生風の男(年令二三才位、身長1.7メートル位、長髪)」とのみしか表示されず、また、判示第二の被害者についても同様に「学生風の男(年令二二才位、身長1.65メートル位、長髪)」とのみ表示されている。そして、本件審理の全過程を通じても、検察官が右各被害者の氏名、住居、本籍、生年月日などを特定することができず、わずかに判示第一の被害者は被害当時ブルーの半袖シャツおよび白ズボンを着用していたこと、判示第二の被害者の被害当時白シャツに黒つぽいズボンを着用し、カバンを所持していたことを付け加え主張するにとどまり、本件全立証の結果によつても、各被害者の特定については検察官の右のような主張の範囲を出ないことは、弁護人ら主張のとおりである。

ところで、いうまでもなく暴力行為等処罰ニ関スル法律一条違反の罪および暴行罪においては、被害者は罪となるべき事実の構成要素であつて、具体的な特定の被害者が明示されない公訴事実は公訴事実そのものとしての要件を欠く。しかしながら、公訴事実において被害者の氏名が不詳とされているということは、直ちに被害者が不詳であること、すなわち具体的な特定の被害者の明示がないということを意味するのではなく、性別、人相、風体、年令に関する記載とともにその訴因の全記載から被害者が特定日時に特定場所に存在した具体的な特定の人間であることが示されている限り、その氏名が不詳とされていても被害者の明示はあるというべきである。この点から本件をみると、各被害者の性別、風体、体格、推定年令等は、各起訴状の記載およびその後の検察官の追加主張により前記のとおり明らかであり、これと各公訴事実に記載された犯行日時および場所(いずれも判示認定とほぼ同じ)とを合わせれば、本件各公訴事実がいずれも具体的な特定の人間に対し暴行を加えた事実(暴力行為および暴行)であることが明示されていると認められるから、その意味で公訴事実そのものとしての要件に欠ける点は全くない。

もつとも、刑事訴訟法二五六条三項は、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と定めているから、訴因における被害者の特定のための記載においても、とりわけ被告人の防禦という見地から、氏名等が明示されることが望ましいことはいうまでもない。しかし右に述べたように、本件各被害者が具体的な特定の人間であることは訴因の全記載によつて明らかであるうえ、一応他と識別できる程度に具体的な表示がなされているから、これ以上に氏名等によつて詳しく具体的に表示されなくても、本件各公訴が審判を求めようとする対象は明確であり、被告人の防禦の範囲もおのずから限定されているというべきであつて、その意味で訴因の特定に欠けるということもできない。

したがつて、本件各訴因が罪となるべき事実の特定を欠くとの弁護人らの主張は理由がなく、これを採用することができない。

二被告人小池は、判示第一の事実について、本件公訴の提起はいわゆる反体制運動を弾圧するために、検察官が同被告人を不当に差別する意図で公訴権を乱用して行つた起訴であるから、違法であり、本件については公訴を棄却すべきものである旨主張する。

しかしながら、本件全証拠によるも、検察官が被告人小池をその有する政治的信条等のために不当に差別して本件公訴の提起を行つたとの事実は、これが存在するとの疑いを生じさせるような事情すら一切窺うことができない。むしろ、本件は、判示第一認定のとおり、白昼商店街の中で被告人ら五名が被害者一人に対し殴る蹴る、さらにはコンクリート塊様の石で殴るなどの激しい暴行を加えたものであつて、その犯情はかなり悪質であり、被害者が行方不明となつて捜査機関に被害の申告すらしていないという事情を考慮しても、本件について公訴を提起したことが検察官の公訴提起に関する裁量の範囲を著しく逸脱しているということは到底できない。したがつて、同被告人の前記公訴権乱用の主張は、その前提を欠き、その余の点について判断するまでもなく失当であり、これを採用することができない。

よつて、主文のとおり判決する。

(松本時夫 早舩嘉一 清田嘉一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例